酸素がなくなる

話の火種を消してしまう言葉ってあるんだと思うんです。


"何でも捉え方次第"  "人それぞれ"  "価値観が違うから"  だとか。


なんだかその言葉を放ってしまった瞬間に、燃え始めてた火が"水をどばっとかけて消す"


というよりも、


"燃え始めたマッチをビーカーか何かで覆ってしまって、
徐々に空間内が無酸素になって消えてしまう"

ようなイメージ。



僕はそんな言葉を割と多用していた気がします。

もうそれしちゃうと終わっちゃうんだよね。酸素がなくなっちゃう。


その言葉達は間違っているわけではなくて、限りなく正解だと思うです。
真理のような。



それをわかったような風で言ってしまってたんだけど、
みんなそんなことはとっくにわかっていて、


"それはそうで知ってるよ。
だから、「君にとって・・・」「僕にとって・・・」という、個別的で、具体的な事を話そうよ"


と、してるのかもしれないなと、思いました。


そして、それはすごく複雑で難しいことだから、世の中には様々な方法があって、
それぞれの人が、自分の好きなやり方で表して伝えようとしているのかもしれないな。


ゴールについたか・どこにいるかよりも、
どんな歩き方で、どんな物を見て、どんなことに感動して、笑って、
誰と何を話して、あるいは1人で何を考えて、見つけてきたのかが
面白いことなんだね。


面白い人でいたいです。



生命の行きつく先は死亡でしかない。



"生きること"の結果は"死ぬこと"であるなら、結果の何が大事なのだろう?



春ですね。


金八先生の卒業式に、静かに長い間涙を流していました。
働くと3月が節目じゃなくなってしまうね。まだ、2年しか経ってないのに。


今日もありがとうございます。

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